祝・ベッドルーム帰還
歯医者
朝ごはんの後、歯医者。金属の詰め物。次回、歯のクリーニングをして今回は終了。たいして沁みる作業では無いのに「ちょっと沁みますよ」とあらかじめ言ってくれるので、なんだか安心感があった。
歯医者で漏れ聞こえる会話は怖い。もう歯の根がほとんど無い、とか、この黒い影が虫歯の進行しているところで外からはもう治療できない、とか。
私の通う歯医者さんのスタイルは、なるべく事実を事務的に、ある程度平易に、速く話すというスタイルに見える。これは、自分自身が持つ疾患を強く自分自身のものと捉えさせ内面からの恐怖を感じさせるのではなく、客観的に症状を見つめさせることで治療法を選択することを助けているように見え、受け入れやすい形だと思う。
そもそも、生命にかかわる疾患ではないので患者も客観的に見つめることが容易だが(私が怖がりなだけなんでしょう・・・)、がん治療の現場では、こう簡単にはいかないのだろう。
内祝い
主人がスタッフや学生さんからもらったギフトに対する内祝いを返すため、Blueberryに行く。素敵なラッピングの品々がそろっており、見ていてたのしい。しかし、あまりにも数が多すぎて主人がオーバーフローした。ので、適当に選ぶ。主人は、内祝いの「のし」に、子供の名前を書くことを、今日初めて知ったようだ。
私もつい先月知りました。子供にもらったものだから、子供の名前で返すのだという。
店内はすこし狭めなので、だっこで移動する。もう5.5kgあるので結構重みを感じる。これからどんどん大きくなるのだろうな、肩と腰に気をつけなければいけない。
DELL
結局家のパソコンを買い換える。どのメーカーで、CPUやメモリをどのくらいにしたらよいかさっぱり分からない。ここは主人に好みを伝えて適当に選んでもらう。「DELLでいんじゃない」「ハードディスクはそんなに要らないやろ」など、そんなに真剣に選んでくれている気がしないが。
最近はユーザーサポートがチャットなんですね。パッケージの内容を質問するためチャットにアクセスすると、韓国人か中国人の人が日本語で答えてくれているようで、びっくりした。こんなことになってるの、現代。
お散歩
Blueberryのあと、Coop桜堤によって買い物して、北公園でおにぎりとか、おいなりさんとかを食べる。風がすこし強いけれど良い天気。川沿いをベビーカーを押して散歩する。典型的だ。
赤ちゃんは終始機嫌が良い。主人と自分の間に子供をはさんで、名前を呼んで、ほっぺたをスリスリしたりしていると、ふと、私も昔は、両親に、こんなふうにして可愛がってもらったんだろうかなと思った。
哺乳瓶の乳首
ピジョンの、きゅうてつ力が弱い赤ちゃん向けのピジョンKRというのを、産院のまま使っていたが、かなり吸う力も強くなってきたように感じる。もうすこし本物の乳首に近い負荷がかかるものに換えて、適切に疲労してもらったほうがよいかなと思い、ピジョンの母乳実感哺乳瓶を使ってみる。これの乳首も、S型、Y型、M,L型と色々ある。とりあえず家にあるS型とY型を試してみる。
そういえば産前にベビー用品売り場に行って「乳首洗い」という細いブラシをみて、おぉこんなもので洗うのか痛そう、と思ったけれど、ゴム乳首用でした。無知・・・
ベッドルームへ帰る
産後、退院してから今まで、主人も私も赤ちゃんも、ずっとリビングルームで寝ていました。赤ちゃんをお世話するベビーベッドもリビングにおいてあったし、夜間調乳のための台所も近く、お世話グッズもリビングに装備してあり、なんとなく安心だったので。そのため、せっかく大塚家具で奮発して買ったキングスダウンのキングスインフィニティが放置状態でした。
生活にもだいぶ慣れてきたので、赤ちゃんをベッドルームのレンタル小型ベビーベッドに寝かせ、我々もキングスインフィニティに寝てみました。おぉ~板の間より遥かに快適。早めに就寝してみました。
赤ちゃんは、暗くすると泣くような気がしていたのですが、夜になってから薄暗くて静かなベッドルームに一人で置いてみると一人でスヤスヤと寝ていました。リビングの明るさとか生活音が、実はうるさかったのかしら。
今まで「暗くてこわーい」と泣いていると思っていたのが実は「うるさーい、静かに寝かせてちょうだーい」と泣いていたのかしら。
昭和
ほぼ家庭に入って1か月半。なんとなく感じるのは、こういう生活をしていると、政治経済文化のことを語っても、家事炊事できず忘れものも多く手先も不器用で整理整頓も出来ず身の回りの始末ひとつ出来ない男性はダメでしょという気分になってくる、ような気がする。
逆に、男性は家事労働を卑俗なものだからやってくれる人にやってもらえばいいし、政治経済文化のことを語って対外的に社交性を持ち恰好を保つべきだし、ごみ出しとか洗濯物たたみより社説読んだり日経ビジネスでも読んだほうがどう考えても頭良いし高級な活動だし人として偉いでしょ、みたいに思っている様な気になってくる、ような。
そういうのは言わないけれど、お互い不可侵と言うか、尊敬しあうという軽く軽蔑しあうというか、という形で、昭和の典型的な家庭生活が営まれてきたのではないかなぁと思います。
というのは産後一か月、こうした状況で生きてきたお義母さんとお義父さんを見ていて何となく感じました。
こうして分担するというのもある意味効率的で全然悪くないわけですが、
日々工夫して丁寧に生きることの中にある喜びを、煩雑さの中から見つけ出してみたり、
社会情勢を知ったり文化に触れる喜びを、虚無感の中から見つけ出してみたり、
そうした喜びを互いに体験し理解していくのが、お互いにとって、より幸せな形なのかなぁと思いました。
こうしないと、もはや生活が回らない、という現実的な要素もあり。
朝ごはんの後、歯医者。金属の詰め物。次回、歯のクリーニングをして今回は終了。たいして沁みる作業では無いのに「ちょっと沁みますよ」とあらかじめ言ってくれるので、なんだか安心感があった。
歯医者で漏れ聞こえる会話は怖い。もう歯の根がほとんど無い、とか、この黒い影が虫歯の進行しているところで外からはもう治療できない、とか。
私の通う歯医者さんのスタイルは、なるべく事実を事務的に、ある程度平易に、速く話すというスタイルに見える。これは、自分自身が持つ疾患を強く自分自身のものと捉えさせ内面からの恐怖を感じさせるのではなく、客観的に症状を見つめさせることで治療法を選択することを助けているように見え、受け入れやすい形だと思う。
そもそも、生命にかかわる疾患ではないので患者も客観的に見つめることが容易だが(私が怖がりなだけなんでしょう・・・)、がん治療の現場では、こう簡単にはいかないのだろう。
内祝い
主人がスタッフや学生さんからもらったギフトに対する内祝いを返すため、Blueberryに行く。素敵なラッピングの品々がそろっており、見ていてたのしい。しかし、あまりにも数が多すぎて主人がオーバーフローした。ので、適当に選ぶ。主人は、内祝いの「のし」に、子供の名前を書くことを、今日初めて知ったようだ。
私もつい先月知りました。子供にもらったものだから、子供の名前で返すのだという。
店内はすこし狭めなので、だっこで移動する。もう5.5kgあるので結構重みを感じる。これからどんどん大きくなるのだろうな、肩と腰に気をつけなければいけない。
DELL
結局家のパソコンを買い換える。どのメーカーで、CPUやメモリをどのくらいにしたらよいかさっぱり分からない。ここは主人に好みを伝えて適当に選んでもらう。「DELLでいんじゃない」「ハードディスクはそんなに要らないやろ」など、そんなに真剣に選んでくれている気がしないが。
最近はユーザーサポートがチャットなんですね。パッケージの内容を質問するためチャットにアクセスすると、韓国人か中国人の人が日本語で答えてくれているようで、びっくりした。こんなことになってるの、現代。
お散歩
Blueberryのあと、Coop桜堤によって買い物して、北公園でおにぎりとか、おいなりさんとかを食べる。風がすこし強いけれど良い天気。川沿いをベビーカーを押して散歩する。典型的だ。
赤ちゃんは終始機嫌が良い。主人と自分の間に子供をはさんで、名前を呼んで、ほっぺたをスリスリしたりしていると、ふと、私も昔は、両親に、こんなふうにして可愛がってもらったんだろうかなと思った。
哺乳瓶の乳首
ピジョンの、きゅうてつ力が弱い赤ちゃん向けのピジョンKRというのを、産院のまま使っていたが、かなり吸う力も強くなってきたように感じる。もうすこし本物の乳首に近い負荷がかかるものに換えて、適切に疲労してもらったほうがよいかなと思い、ピジョンの母乳実感哺乳瓶を使ってみる。これの乳首も、S型、Y型、M,L型と色々ある。とりあえず家にあるS型とY型を試してみる。
そういえば産前にベビー用品売り場に行って「乳首洗い」という細いブラシをみて、おぉこんなもので洗うのか痛そう、と思ったけれど、ゴム乳首用でした。無知・・・
ベッドルームへ帰る
産後、退院してから今まで、主人も私も赤ちゃんも、ずっとリビングルームで寝ていました。赤ちゃんをお世話するベビーベッドもリビングにおいてあったし、夜間調乳のための台所も近く、お世話グッズもリビングに装備してあり、なんとなく安心だったので。そのため、せっかく大塚家具で奮発して買ったキングスダウンのキングスインフィニティが放置状態でした。
生活にもだいぶ慣れてきたので、赤ちゃんをベッドルームのレンタル小型ベビーベッドに寝かせ、我々もキングスインフィニティに寝てみました。おぉ~板の間より遥かに快適。早めに就寝してみました。
赤ちゃんは、暗くすると泣くような気がしていたのですが、夜になってから薄暗くて静かなベッドルームに一人で置いてみると一人でスヤスヤと寝ていました。リビングの明るさとか生活音が、実はうるさかったのかしら。
今まで「暗くてこわーい」と泣いていると思っていたのが実は「うるさーい、静かに寝かせてちょうだーい」と泣いていたのかしら。
昭和
ほぼ家庭に入って1か月半。なんとなく感じるのは、こういう生活をしていると、政治経済文化のことを語っても、家事炊事できず忘れものも多く手先も不器用で整理整頓も出来ず身の回りの始末ひとつ出来ない男性はダメでしょという気分になってくる、ような気がする。
逆に、男性は家事労働を卑俗なものだからやってくれる人にやってもらえばいいし、政治経済文化のことを語って対外的に社交性を持ち恰好を保つべきだし、ごみ出しとか洗濯物たたみより社説読んだり日経ビジネスでも読んだほうがどう考えても頭良いし高級な活動だし人として偉いでしょ、みたいに思っている様な気になってくる、ような。
そういうのは言わないけれど、お互い不可侵と言うか、尊敬しあうという軽く軽蔑しあうというか、という形で、昭和の典型的な家庭生活が営まれてきたのではないかなぁと思います。
というのは産後一か月、こうした状況で生きてきたお義母さんとお義父さんを見ていて何となく感じました。
こうして分担するというのもある意味効率的で全然悪くないわけですが、
日々工夫して丁寧に生きることの中にある喜びを、煩雑さの中から見つけ出してみたり、
社会情勢を知ったり文化に触れる喜びを、虚無感の中から見つけ出してみたり、
そうした喜びを互いに体験し理解していくのが、お互いにとって、より幸せな形なのかなぁと思いました。
こうしないと、もはや生活が回らない、という現実的な要素もあり。
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